Uncategorized
PR

ファティマ第三の秘密

mizuki_unicorn
記事内に商品プロモーションを含む場合があります

皆さんこんにちは!天照です!

今日は皆さんにある昔話をしたいと思います。

今から100年以上前、1917年7月13日ポルトガルの小さな町ファティマに、イエス・キリストの母、聖母マリアが、ルシア、フランシスコ、ジャシンタの3人の子供の前に現れ、3つのメッセージを託しました。

1.死後の地獄の実在:多くの人々が罪な生活、傾向によって、死後地獄へ導かれている。現世的な罪から回心しないままでいることにより、人は死後、永遠の地獄へと行く。具体的に、聖母はこの少女ら3人に地獄のビジョンを見せ、彼らはそのあまりの光景に戦慄した。地獄は神話ではなく実在し、そこは全ての人が死後行く可能性のあるところで、一度入ったが最後、二度と出ることはできない。

2.大戦争の終焉と勃発:第一次世界大戦はまもなく終わること。しかし人々が生活を改め罪を悔い改めないなら、さらに大きな戦争が起き、沢山の人が死に、そしてその多くの人が地獄に落ちてしまうこと。その前兆として、ヨーロッパに不気味な光が見えるだろう、ということ。

3.秘密:聖母マリアは、1960年になったら公開するように、それまでは秘密に、とルシアに厳命した。その内容は「ファティマ第三の秘密」と呼ばれ、ルシアを通じて教皇庁に伝えられたが、1960年が過ぎても教皇庁は公開せず、2000年になってから発表に踏み切った。教皇庁によれば教皇暗殺の危機だとされる。ヨハネ・パウロ2世はファティマ出現記念日である1981年5月13日に発生した事件を東欧の政権による暗殺未遂と発表しているが、後述する理由から疑問視する意見もある。

以上が、聖母マリアが3人の子供に託したメッセージになります。

そして今回は3つ目の秘密、「ファティマ第三の秘密」に焦点を当てていきたいと思います。

教皇庁は聖母が発表を命じた1960年になってもメッセージの第三部について公表せず、中身について多くの憶測を呼びました。2つ目のメッセージが第一次世界大戦の終焉と第二次世界大戦の勃発であり、60年代当時は東西冷戦真っ只中であることから、第三次世界大戦や核戦争ではないかと危惧する者もいました。

1959年、ローマ教皇ヨハネ23世は封印された封筒を教理省から受け取りましたが、あまりの内容に絶句してしまい、封印された封筒をそのまま返し公表しないことを決定しました。1965年3月27日、教皇パウロ6世は封印を解き内容を読みましたが、恐怖のあまりショックを受けて卒倒し、「これは人の目に絶対に触れさせてはならない。私が墓の中まで持っていく。」と言って発表を差し止めてしまいました。

1981年5月2日には、エアリンガス164便がカトリック修道士にハイジャックされ、要求は「ファティマ第三の秘密を公開せよ」でした。

こうした経緯を経て教皇ヨハネ・パウロ2世の決定により、教皇庁は2000年6月に1960年以来40年間発表を先送りにしてきたファティマ第三の秘密を正式に発表しました。

・公文書:「ファティマ 第三の秘密 教皇庁発表によるファティマ『第三の秘密』に関する最終公文書」(教皇庁教理省)

すでに述べたあの二つの啓示のあと、わたしたちは、マリアの左側の少し高い所に、火の剣を左手に持った一人の天使を見ました。しかしその炎は、マリアが天使に向かって差し伸べておられた右手から発する輝かしい光に触れると消えるのでした。天使は、右手で地を指しながら大声で叫びました。「悔い改め、悔い改め、悔い改め」。それからわたしたちには、計り知れない光―それは神です―の中に、「何か鏡の前を人が通り過ぎるときにその鏡に映って見えるような感じで」白い衣をまとった一人の司教が見えました。「それは教皇だという感じでした」。そのほかに幾人もの司教と司祭、修道士と修道女が、険しい山を登っていました。その頂上には、樹皮のついたコルクの木のような粗末な丸太の大十字架が立っていました。教皇は、そこに到着なさる前に、半ば廃墟と化した大きな町を、苦痛と悲しみにあえぎながら震える足取りでお通りになり、通りすがりに出会う死者の魂の為に祈っておられました。それから教皇は山の頂上に到着し、大十字架のもとにひざまづいてひれ伏されたとき、一団の兵士達によって殺されました。彼らは教皇に向かって何発もの銃弾を発射し、矢を放ちました。同様に、他の司教、司祭、修道士、修道女、そして様々な階級と職種の平信徒の人々も次々にそこで死んでいきました。十字架の二つの腕の下にいた二位の天使は、おのおの手にした水晶の水入れに殉教者たちの血を集め、神に向かって歩んでくる霊魂にそれを注ぐのでした。 トゥイにて 1944年1月3日

— 教皇庁教理省『ファティマ 第三の秘密』20-21頁

教皇ヨハネ・パウロ2世は、2005年2月23日に著作『記憶とアイデンティティー』においてファティマのメッセージの全容に関する解釈を開示し、その内容を1981年5月13日の教皇暗殺未遂事件であったと規定しました。

しかしながら、2000年に発表された文章は、前の二つの預言と比べると矮小が過ぎる点、40年もの長期間隠匿され60年代の教皇が絶句したり、発表を見送った内容とはとても思えない点、公開された「第三の秘密」は一群の兵士達により白衣の司教ら大勢の高位聖職者達が射殺される、とあり1981年の事件とはあまりに食い違うと疑問視する意見があります。教皇庁の発表は虚偽、あるいは全文ではなく一部分に過ぎないのではないかとする主張においては、第三の秘密は、未だ本格的には未公開とされています。そして、教皇庁は2035年1月にファティマ第三の秘密を完全に公開するとしています。

これらがファティマ第三の秘密を巡る今までの経緯になります。

それではこれからファティマ第三の秘密を天照なりに考察していきたいと思います。

まず注目したいのは、第一のメッセージが死後の地獄の実在であること、第二のメッセージで第一次世界大戦の終焉と第二次世界大戦の勃発が予言されていたこと、そして恐らくその中には日本の広島と長崎への原子爆弾投下のことも書かれていたことでしょう。それらの内容と第三の秘密は分けて伝えられました。そしてヨハネ23世とパウロ6世は封印を解きファティマ第三の秘密を読み絶句、卒倒しました。つまりファティマ第三の秘密は、これから先の未来に必ず起こり、死んで地獄に行くことや、第三次世界大戦、核戦争などというような生易しいものではなく、人類がかつて遭遇したことのない残酷なものだと思うのです。

次に、聖母マリアは第三の秘密を1960年まで秘密にするようにとルシアに命じたことです。1960年といえば第二次世界大戦が終戦し、アメリカとロシアが冷戦をしていたころですね。この頃まで第三の秘密を秘密にするようにと命じた。それはなぜか。恐らく1917年当時にその内容が公表されたとしても誰もその意味を理解することが出来ない内容であるのではないかと思います。

最後に、教皇庁は2000年にファティマ第三の秘密を正式に発表し、教皇ヨハネ・パウロ2世は2005年に著作においてファティマ第三の秘密の内容を1981年の教皇暗殺未遂事件であったと規定しました。しかしながら、2000年に発表された文章は、第一・第二のメッセージと比べて、ヨハネ23世とパウロ6世が絶句、卒倒した内容とは到底言えないでしょう。つまり、教皇庁が2000年に発表したファティマ第三の秘密の文章と、教皇ヨハネ・パウロ2世が2005年にファティマ第三の秘密の内容である、と規定した1981年の教皇暗殺未遂事件は虚偽である可能性が高く、事実上ファティマ第三の秘密は2035年1月の完全公開まで再び封印されたことになります。

それではファティマ第三の秘密に関する考察で分かったことをまとめると、

1.ファティマ第三の秘密に書かれている出来事は、これから先の未来に必ず起こり、死んで地獄に行くことや、第三次世界大戦、核戦争などという生易しいものではなく、人類がかつて遭遇したことのない残酷なものであること。

2.ファティマ第三の秘密は、1960年にならなければ誰もその意味を理解することが出来ない内容であること。

3.ファティマ第三の秘密は、未だ起きておらず、2035年1月の完全公開まで再び封印されたこと。

4.そして恐らくファティマ第三の秘密は、2035年1月の完全公開の後に起きる可能性が高いこと。

このようになります。

それではもっとファティマ第三の秘密の核心に迫る方法はないか。皆さんはファティマ第三の秘密に対してどうすればいいのか。それはファティマ第三の秘密を伝えたのが聖母マリアであること、そしてファティマ以外にも聖母が過去に現れたことがあることから推定することが出来ます。

聖母マリアは世界最大宗教の創始者とされているイエス・キリストの母であり、イエス・キリストの人生とその意味を理解することによって、聖母マリアが過去に現れた秋田・ガラバンダル・メジュゴリエでのメッセージの意味を理解することにより、ファティマ第三の秘密の核心に迫り、皆さんがどうすればいいのかをより深く理解することが出来ると思います。それについてはまた別の記事で説明させて頂きたいと思います。

それでは今回はファティマ第三の秘密を考察させて頂きました。

天照でした~!

ABOUT ME
天照大御神
天照大御神
太陽神 / 皇祖神
日本の皇祖神です! 高天原で日本と国民の幸福と繁栄を祈ってきましたが、とある理由により地上世界の皆さんと関わり合いを持つために高天原からやってきました! よろしくお願いします!
記事URLをコピーしました